技術王国 東北進出企業(2)
関東自動車工業株式会社岩手工場
FPD産業の拠点として、本州最北端から世界へ発信
『トヨタ車の国内生産台数600万台』の大号令


岩手県は日本の国土の約4%を占め、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県の1都3県の面積をゆうにのみ込む。この広大な大地を新幹線が、高速道路が走り、岩手県は決して「遠い国」ではない。 1993年11月、岩手県の南西部に位置する金ヶ崎町に、関東自動車工業株式会社岩手工場が進出した。敷地面積は29万坪で、東京ドームの20倍。威風堂々たる敷地内は、工場というよりもひとつの町並みを思わせる。同社の工場進出に際しては当然、岩手県を始め複数の県からのオファーがあった。その中で岩手県進出を決定させたのは、他ならない「岩手県や金ヶ崎町を始めとした近隣自治体の真摯な誘致活動」そのものだった。

関東自動車工業株式会社岩手工場
郵便番号029-4503 岩手県胆沢郡
金ヶ崎町西根森山1番地
常務取締役 岩手工場長 金井 雅仁
設  立 1993年11月
従業員数 約1,250人(2005年1月現在)
生産品目 トヨタブランドのウインダム、マークX、アルテッツァ、アルテッツァジータ、レクサスブランドのES330、IS200・300
電話番号:0197-41-1122
ファックス番号:0197-41-1250
岩手工場  主査 青山  茂氏


関東自動車工業株式会社は、1946年の創業以来、トヨタグループの中にあって、東日本に完成工場を持つ総合ボディーメーカーとしての歴史を刻んできた。古くはトヨタスポーツ800から、高級車のセンチュリー、ソアラ、ウィンダムといったラグジュアリーカー、マークIIやアルテッツァなどのFRセダン、セリカ、カローラ(セダン・スパシオなど)のミディアム・コンパクトクラスまでの乗用車を中心に、トヨタ車の開発・生産を行っている。

 1989年、トヨタ自動車は「国内生産台数を600万台に増産する」経営ビジョンを発表。この数字は、1990年の国内生産台数実績の421万台に対し、約143%増という大幅な生産体制の増強を意味していた。同年の関東自動車工業株式会社の実績は、約10%に相当する46万8千台の生産であったが、この経営ビジョンに合わせ、年間60万台の生産体制の構築に向けて走りはじめた。当時の状況を岩手工場渉外担当の青山茂主査は、こう振返る。

 「当社は常にトヨタ車の10%を生産することを目標として稼動してきました。この数字は保証された数字ではなく、当社としても生産性を高め目標生産台数を達成する姿勢を示す必要がありました。当時、静岡県の東富士工場と神奈川県の横須賀工場で生産していましたが、この目標をクリアしていくためには、ライン増設では間に合わず、どうしても新しい工場建設が必要でした」。

 トヨタ自動車が同ビジョンを発表した時代は、日本経済がバブルに踊り始めた時期でもあり「造れば売れる時代」だった。同様に自動車メーカー各社も生産体制を強化し、労働力確保に奔走していた。反面、労働事情はひっ迫し、総労働時間の短縮が企業に求められるという「ひずみ」が生じ「対策に苦慮した時代」でもあった。建設用地の選定にあたり「広大な工場建設用地と豊富な労働力の確保を求めるには、都市圏では困難」と判断し、関東自動車工業株式会社は、地方への工場立地の検討に入った。



関東自動車工業株式会社岩手工場全景。左側下の空地に新工場を建設。2005年10月稼動。


高い労働意欲と歴史に培われた岩手の風土

新工場の建設用地は「生産車の品質を最終チェックするテストコースの確保や将来的な工場増築に応えられる面積を有しているか」「車の部品調達や完成車の輸送に支障はないか」などの課題を満たさなければない。「最初は、関東地方を探しました。また、他の自治体からのお誘いもありましたが、Goサインには至らなかった。そうした状況の中で、岩手県と金ヶ崎町が熱心な誘致活動を展開し、他地域との比較検討を行った結果、テストコースも造れるなどの条件を含め、金ヶ崎町が最適でした」。

 関東自動車工業株式会社は、「良質な人材確保」「インフラ整備が完了し工場建設に適した土地」「優遇制度や積極的な支援を背景とした地元の協力」「高速道路、新幹線、空港など良好なアクセス」の4項目を評価し、1993年11月、岩手県金ヶ崎町に岩手工場を進出させた。「当工場の従業員達は話しをよく聞いてくれ、誠実に職責をこなしてくれます。入社したものの1〜2年で辞めらると、同じことを新人に指導しなければなりません。しかし、岩手工場の従業員は定着率もよく、労働意欲も旺盛です」。さらに青山主査は「当地に赴任し改めて感じましたが、岩手県は長い歴史に包まれている。1200年前に『朝廷軍』が侵攻、これは穀物が豊富で、金・銀・銅・鉄が採取出来た土地であったことを物語っています。平安時代に華咲いた奥州藤原文化、そして原敬や宮沢賢治など多数の偉人を輩出してきました。自然が豊かで温泉もあり、食べ物も実においしい。渉外担当という立場から、来社される方々を県内各地にご案内し、岩手の良さをアピールしています」と加える。関東地方出身の青山主査は、すっかり「岩手通」となった。

生産ラインの最終検査工程(4車種混成ライン)。



企業は地域と共に歩み、地域は企業をバックアップ

 「トヨタ車の国内生産台数の10%・年間60万台を生産する」との期待を担って誕生した岩手工場であったが、折からのバブル崩壊により「造れば売れる時代」は終わり、当時の従業員約650名のうち、約300名を横須賀工場または東富士工場へ工場間の応援として派遣せざるを得なかった。しかし、1995年に岩手工場で開発したカローラ系の『スパシオ』のヒットにより、従業員達は岩手へ戻ることができた。

 現在、関東自動車工業株式会社では、岩手(岩手工場)と静岡(東富士工場)の2工場で生産しており、2004年度の生産台数見込みは35万9千台。うち岩手工場では、「ウインダム」「アルテッツァ」「アルテッツァジータ」「マークX」の4車種を生産している(同年度生産台数見込み/14万1千台)。また、海外向けの「レクサス」ブランドも製造・輸出しており、常に品質はトップクラスにランクされ、アメリカでも高い評価を得ている。さらに、2005年10月を目途に、現在より10万台多い年間25万台体制へとラインを増強し、新たに500人を採用する計画だ。

 生産体制の強化とともに岩手工場では、「地元企業が自動車部品関連分野へ進出する可能性を探る」ことをテーマに、岩手県および岩手大学を加えた産学官連携にも参画。「当工場の技術と岩手大学の技術がマッチングすれば、新たな企業体を創出するのも可能です」。今後の技術開発を図る上でも、産学官連携は欠かすことの出来ない要素だ。

 「企業は地域と共に、持続的な発展と成長を遂げなければならない」。青山主査は、近隣の自治体とともに企業誘致の説明会などに同行する。「私なりに岩手の良さを外部へ発信してきました。企業誘致やUターン者の受入れは、地域の活性化、雇用促進へとつながります。岩手への進出当時、近隣市町村から幼稚園、学校、病院、銀行など生活に必要なデータをお借りして、転勤家族者を対象にオリジナルな情報誌を作成しました。自治体の方々にも、周辺環境の見学に訪れた家族に対し、誠意のこもった対応をいただきました。その甲斐あって、横須賀工場から約400名を受入れることが出来ました。また、地域との関係では、工場見学の受入れや、数多くの車両や福祉車両など、一堂に展示する「オールトヨタグループフェスティバル」の開催、地元の社会福祉協議会などのご協力を得たイベントを通して、コミュニケーションを深めています」。

 関東自動車岩手工場と金ヶ崎町、そして近隣市町を含めた岩手県との関係は良好に機能している。企業と自治体の縁組みは、情報交換や人的交流を密にし「双方がともに発展していく」という共生の思いがあってこそ成立する。まさに両者は、相思相愛のもとで年輪を刻んでいるのだ。

世界最高の品質を誇るレクサスブランド。


関東自動車工業株式会社岩手工場 URL http://www.kanto-aw.co.jp
<<戻る

(C)Tohoku-Electric Power Co.,Inc. All Rights Reserved.